日本サッカーの歴史沿革

1973年、イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のA.L.ダグラス少佐と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えた(これが、日本でサッカーが紹介された最初というのが定説になっている)。1978年,体操伝習所(のちの東京高等師範学校体操専修科)が創設され、教科の一つにサッカーが取り入れられる。1888年で日本最古の対抗戦と言われるインターポートマッチが開催される(横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ(YC&AC)と神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC)が対戦)。その後、サッカーは徐々に発展している。

1921年で大日本蹴球協会(現、日本サッカー協会/JFA)創立。初代会長に今村次吉就任。1929年国際サッカー連盟(FIFA)に加盟。
日本代表が1936でベルリンオリンピックに出場。日本代表の竹内悌三主将は入村式で旗手を務めた。3-2でスウェーデンに勝利 <ベルリンの奇跡>。この試合で川本泰三がオリンピックでの日本人初ゴールを記録。チームはベスト8進出。1950年で国際サッカー連盟(FIFA)に再加盟 。1954 FIFAワールドカップ(スイス)の地域予選に出場。日本代表初のワールドカップ予選(日本は韓国に1分1敗で本大会へ進めず)。

日本サッカーが世界レベルで初めて本格的に知られるようになったのは、1968年のメキシコ五輪。大会得点王となった釜本邦茂や、渡辺正、杉山隆一らの活躍で銅メダルに輝いた。1960年代までは日本サッカーの目標は五輪にあり、W杯は1970年のメキシコ大会から予選に継続的に出場するようになる。だが、当時はオーストラリアやイスラエル(当時はアジア連盟所属)、韓国といった国々の壁があつく、敗退を重ねる。1986年(メキシコ大会)アジア予選は、本大会出場を決めるゾーンB(東地区)の最終予選で韓国に敗退。90年(イタリア大会)も北朝鮮に敗れ、一次予選を通過できなかった。

1970年でブラジル生まれのネルソン吉村大志郎が日本国籍を取得。サッカーの外国籍選手としては初の日本国籍取得。1979 FIFAワールドユース・トーナメント(現、FIFAU-20ワールドカップ)を日本で開催。アルゼンチンが優勝、ディエゴ・マラドーナがMVPに輝く。来年、全日本女子サッカー選手権大会がスタート。2002年FIFAワールドカップの開催国として正式に立候補を表明。

日本サッカー協会は1991年、社団法人日本プロサッカーリーグを設立し、93年に10チームで「Jリーグ」がスタート。92年には日本代表初の外国人監督にハンス・オフト(オランダ)が就任。同年Jリーグ初の公式戦となるJリーグヤマザキナビスコカップを開催。ヴェルディ川崎が優勝。広島で第10回アジアカップを開催。日本代表アジア初制覇。

       

この時期の中心選手は三浦知良、ラモス瑠偉、井原正巳、柱谷哲二ら。強化は順調に進み、アメリカ大会アジア予選(93年)では最終予選に進出したが、イラクと対戦した最終戦(第5戦)で後半ロスタイムに同点に追いつかれ、あと一歩のところで出場権を逃した。同試合はカタール・ドーハで行われ、第4戦終了時には1位にいた日本は得失点差で韓国に抜かれて3位に。日本のサッカーファンはこれを「ドーハの悲劇」と呼んで記憶にとどめることになる。4年後のフランス大会予選で、日本は最終予選グループで韓国に次ぐ2位に。プレーオフのイラン戦はマレーシア・ジョホールバルで行われ、延長戦をものにして悲願のW杯出場権を獲得した。

1998年フランス大会の監督は岡田武史。中心的な選手には中山雅史、井原正巳、中田英寿、名波浩、秋田豊、川口能活がいた。グループリーグでアルゼンチン、クロアチアに、ともに0-1で敗れ、早々とリーグ敗退が決定。最終戦もジャマイカに1-2で敗れた。中田英寿が1997年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。日本のW杯初得点は、中山雅史が記録した。1999年でJリーグ、1・2部制(J1・J2)導入。

2002年大会はアジア初のFIFAワールドカップを日本、韓国の共同開催。日本代表は出場2回目にしてベスト16入りを果たす。また、同大会で上川徹審判員が主審を務める。大会史上初となった日韓共催のワールドカップは両国の関係を深め、また、開催地やキャンプ地などで温かい交流が育まれるなど、”笑顔のワールドカップ”と称され、今なお語り継がれている。

トルシエの後任にはブラジルのスーパースター、ジーコが就任。2006年のドイツ大会には3大会連続出場となる川口能活や中田英寿らのほか、中村俊輔や中澤佑二、高原直泰、三都主アレサンドロといった新戦力を率いて臨んだ。だがグループリーグ初戦でオーストラリアに1-3と逆転負け。クロアチアには0-0で引き分けたものの、ブラジルに1-4と完敗してリーグ最下位に終わった。

2006年に就任したイビチャ・オシム監督は、急病で翌年に退任。2007年に第1回Fリーグ(日本フットサルリーグ)開幕。浦和レッドダイヤモンズもAFCチャンピオンズリーグで初優勝。後を引き継いだ岡田武史がフランス大会に続き、2010年南アフリカ大会の指揮をとった。チームの中心選手は長谷部誠や遠藤保仁、本田圭佑、長友佑都、大久保嘉人、田中マルクス闘莉王ら。グループリーグ初戦のカメルーンに1-0で勝利。オランダには0-1で敗れたが、デンマークに3-1で快勝して決勝トーナメントに進んだ。決勝トーナメント1回戦では強豪パラグアイ相手に0-0の引き分け。PK戦3-5で惜しくも涙をのんだ。

2014年W杯は日本にとり、5回連続5度目の本大会出場となる。残念でグループリーグ敗退。2017年8月31日、アジア最終予選のオーストラリアに勝利し、6大会連続6度目の本大会出場が決定した。

サッカー日本代表のユニフォームに興味があるなら、Sakka Knight へどうぞ!