2018W杯で出場国はいくつか?

初出場はアイスランド、パナマで、過去のワールドカップの優勝国でイタリアを除く7ヶ国 (ウルグアイ、ドイツ、ブラジル、イングランド、アルゼンチン、フランス、スペイン)は出場することとなった。

大陸連盟出場
枠数
予選大会
予選順位
出場国・地域出場決定日出場回数備考FIFA
Rank
UEFA13+1開催国ロシアの旗 ロシア2010年12月2日2大会連続11回目 65
欧州予選A組1位フランスの旗 フランス2017年10月10日6大会連続15回目 7
A組2位スウェーデンの旗 スウェーデン2017年11月13日3大会ぶり12回目25
B組1位ポルトガルの旗 ポルトガル2017年10月10日5大会連続7回目 3
B組2位スイスの旗 スイス2017年11月12日4大会連続11回目11
C組1位ドイツの旗 ドイツ2017年10月5日17大会連続19回目[7]前大会優勝1
D組1位セルビアの旗 セルビア2017年10月9日2大会ぶり12回目[8] 38
E組1位ポーランドの旗 ポーランド2017年10月8日3大会ぶり8回目 6
E組2位デンマークの旗 デンマーク2017年11月14日2大会ぶり5回目19
F組1位イングランドの旗 イングランド2017年10月5日6大会連続15回目 12
G組1位スペインの旗 スペイン2017年10月6日11大会連続15回目 8
H組1位ベルギーの旗 ベルギー2017年9月3日2大会連続13回目 5
I組1位アイスランドの旗 アイスランド2017年10月9日初出場 21
I組2位クロアチアの旗 クロアチア2017年11月12日2大会連続5回目18
CONMEBOL4.5南米予選1位ブラジルの旗 ブラジル2017年3月28日21大会連続21回目 2
2位ウルグアイの旗 ウルグアイ2017年10月10日3大会連続13回目 17
3位アルゼンチンの旗 アルゼンチン2017年10月10日12大会連続17回目前大会準優勝4
4位コロンビアの旗 コロンビア2017年10月10日2大会連続6回目 13
5位ペルーの旗 ペルー2017年11月15日9大会ぶり5回目10
CAF5最終予選A組1位チュニジアの旗 チュニジア2017年11月11日3大会ぶり5回目 28
B組1位ナイジェリアの旗 ナイジェリア2017年10月7日3大会連続6回目 41
C組1位モロッコの旗 モロッコ2017年11月11日5大会ぶり5回目 48
D組1位セネガルの旗 セネガル2017年11月10日4大会ぶり2回目 32
E組1位エジプトの旗 エジプト2017年10月8日7大会ぶり3回目 30
AFC4.5最終予選A組1位イランの旗 イラン2017年6月13日2大会連続5回目 34
A組2位大韓民国の旗 韓国2017年9月5日9大会連続10回目 62
B組1位日本の旗 日本2017年8月31日6大会連続6回目 55
B組2位サウジアラビアの旗 サウジアラビア2017年9月5日3大会ぶり5回目 63
B組3位オーストラリアの旗 オーストラリア2017年11月15日4大会連続5回目39
CONCACAF3.5最終予選1位メキシコの旗 メキシコ2017年9月1日7大会連続16回目 16
2位コスタリカの旗 コスタリカ2017年10月7日2大会連続5回目 22
3位パナマの旗 パナマ2017年10月10日初出場 49

備考欄の「☆」は欧州予選プレーオフ、「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定した国。

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日本サッカーの歴史沿革

1973年、イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のA.L.ダグラス少佐と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えた(これが、日本でサッカーが紹介された最初というのが定説になっている)。1978年,体操伝習所(のちの東京高等師範学校体操専修科)が創設され、教科の一つにサッカーが取り入れられる。1888年で日本最古の対抗戦と言われるインターポートマッチが開催される(横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ(YC&AC)と神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC)が対戦)。その後、サッカーは徐々に発展している。

1921年で大日本蹴球協会(現、日本サッカー協会/JFA)創立。初代会長に今村次吉就任。1929年国際サッカー連盟(FIFA)に加盟。
日本代表が1936でベルリンオリンピックに出場。日本代表の竹内悌三主将は入村式で旗手を務めた。3-2でスウェーデンに勝利 <ベルリンの奇跡>。この試合で川本泰三がオリンピックでの日本人初ゴールを記録。チームはベスト8進出。1950年で国際サッカー連盟(FIFA)に再加盟 。1954 FIFAワールドカップ(スイス)の地域予選に出場。日本代表初のワールドカップ予選(日本は韓国に1分1敗で本大会へ進めず)。

日本サッカーが世界レベルで初めて本格的に知られるようになったのは、1968年のメキシコ五輪。大会得点王となった釜本邦茂や、渡辺正、杉山隆一らの活躍で銅メダルに輝いた。1960年代までは日本サッカーの目標は五輪にあり、W杯は1970年のメキシコ大会から予選に継続的に出場するようになる。だが、当時はオーストラリアやイスラエル(当時はアジア連盟所属)、韓国といった国々の壁があつく、敗退を重ねる。1986年(メキシコ大会)アジア予選は、本大会出場を決めるゾーンB(東地区)の最終予選で韓国に敗退。90年(イタリア大会)も北朝鮮に敗れ、一次予選を通過できなかった。

1970年でブラジル生まれのネルソン吉村大志郎が日本国籍を取得。サッカーの外国籍選手としては初の日本国籍取得。1979 FIFAワールドユース・トーナメント(現、FIFAU-20ワールドカップ)を日本で開催。アルゼンチンが優勝、ディエゴ・マラドーナがMVPに輝く。来年、全日本女子サッカー選手権大会がスタート。2002年FIFAワールドカップの開催国として正式に立候補を表明。

日本サッカー協会は1991年、社団法人日本プロサッカーリーグを設立し、93年に10チームで「Jリーグ」がスタート。92年には日本代表初の外国人監督にハンス・オフト(オランダ)が就任。同年Jリーグ初の公式戦となるJリーグヤマザキナビスコカップを開催。ヴェルディ川崎が優勝。広島で第10回アジアカップを開催。日本代表アジア初制覇。

       

この時期の中心選手は三浦知良、ラモス瑠偉、井原正巳、柱谷哲二ら。強化は順調に進み、アメリカ大会アジア予選(93年)では最終予選に進出したが、イラクと対戦した最終戦(第5戦)で後半ロスタイムに同点に追いつかれ、あと一歩のところで出場権を逃した。同試合はカタール・ドーハで行われ、第4戦終了時には1位にいた日本は得失点差で韓国に抜かれて3位に。日本のサッカーファンはこれを「ドーハの悲劇」と呼んで記憶にとどめることになる。4年後のフランス大会予選で、日本は最終予選グループで韓国に次ぐ2位に。プレーオフのイラン戦はマレーシア・ジョホールバルで行われ、延長戦をものにして悲願のW杯出場権を獲得した。

1998年フランス大会の監督は岡田武史。中心的な選手には中山雅史、井原正巳、中田英寿、名波浩、秋田豊、川口能活がいた。グループリーグでアルゼンチン、クロアチアに、ともに0-1で敗れ、早々とリーグ敗退が決定。最終戦もジャマイカに1-2で敗れた。中田英寿が1997年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。日本のW杯初得点は、中山雅史が記録した。1999年でJリーグ、1・2部制(J1・J2)導入。

2002年大会はアジア初のFIFAワールドカップを日本、韓国の共同開催。日本代表は出場2回目にしてベスト16入りを果たす。また、同大会で上川徹審判員が主審を務める。大会史上初となった日韓共催のワールドカップは両国の関係を深め、また、開催地やキャンプ地などで温かい交流が育まれるなど、”笑顔のワールドカップ”と称され、今なお語り継がれている。

トルシエの後任にはブラジルのスーパースター、ジーコが就任。2006年のドイツ大会には3大会連続出場となる川口能活や中田英寿らのほか、中村俊輔や中澤佑二、高原直泰、三都主アレサンドロといった新戦力を率いて臨んだ。だがグループリーグ初戦でオーストラリアに1-3と逆転負け。クロアチアには0-0で引き分けたものの、ブラジルに1-4と完敗してリーグ最下位に終わった。

2006年に就任したイビチャ・オシム監督は、急病で翌年に退任。2007年に第1回Fリーグ(日本フットサルリーグ)開幕。浦和レッドダイヤモンズもAFCチャンピオンズリーグで初優勝。後を引き継いだ岡田武史がフランス大会に続き、2010年南アフリカ大会の指揮をとった。チームの中心選手は長谷部誠や遠藤保仁、本田圭佑、長友佑都、大久保嘉人、田中マルクス闘莉王ら。グループリーグ初戦のカメルーンに1-0で勝利。オランダには0-1で敗れたが、デンマークに3-1で快勝して決勝トーナメントに進んだ。決勝トーナメント1回戦では強豪パラグアイ相手に0-0の引き分け。PK戦3-5で惜しくも涙をのんだ。

2014年W杯は日本にとり、5回連続5度目の本大会出場となる。残念でグループリーグ敗退。2017年8月31日、アジア最終予選のオーストラリアに勝利し、6大会連続6度目の本大会出場が決定した。

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